思考の公準 第一部

 

思考の公準

                                        最新の日付へとぶ

 

                〔第一部 思考の不可能性〕

 

2013年2月11日

 家に帰り着いてソファに座ったとき、自分が何かをやりたがっているということに気付いた。重苦しいことから解放されたからか、それとも、もはや救いようがない空虚の状態へと投げ出されてしまったのか・・・、わからなかったけれど、とにかくじっとしているだけでは落ち着かなくなった。音楽か、映画的なテキストか、それとも無謀かもしれないけれど、ひと組みになった写真か・・・、とにかく、何か流れてゆくようなものを作りたくなった。様々な速さで、そして確実に、流れていくような何かを・・・。まずは音楽をやってみた。ひとつの鍵盤に中指を乗せてあたかも小さな心臓に心臓マッサージを施しているかのように、慎重に優しく、音を反復させた。すると少しずつ、その心臓が脈打ちはじめた。ひとつの命が持続しはじめたのだ。僕に何かを語りかけているような、揺れながら何かを見ていてるような、決して転ばないように、けれども大胆に、何かを運んでいるような・・・、リズムが微妙にずれ、時には微妙に重なり合って、けれども決してメロディにはなれない・・・、何かを伝えようとしているけれども、うまく話すことができないような、ひとつの命。けれどもその命は、僕が指を止めてしまうと、ぱたりと死んでしまう。そして、僕には、それ以上はできなかった。僕はMIDI鍵盤をしまった次に・・・、映画的なテキスト? いったい誰が書くというのか? 僕が? それとも、読んだことはないけれども、プレヴェールが?(プレヴェールとアルトーは長い手紙のやりとりをしていたらしい。)読んだことはないけれども、プレヴェールがやっているんじゃないだろうか? それとも、プレヴェール=相沢が? ジャック・プレヴェールと相沢がそれを一緒にやるのだろうか? そしてバタイユが述べたように、それは本というものを拒絶するのだろうか? 「どうだ、我こそが存在だ」とのたまう、あの本とは違って? それは、きっと流れてゆくのだろうか? そして、どこかで、ぱったりと消えてしまって・・・、もうそれっきりなのか? それともその流れは、パリのきっと汚くて暗くて惨めで、レジスタンスたちが潜んでいるにきまっている、あの下水道へと落ちていって、そのまま真っ暗闇のなかを下水の水流にのってすすみ・・・、そして・・・、海へとゆくのだろうか。海へとゆくと、きっと朝日が昇っていて、水面はきらきらと眩しく輝いていて、早朝の穏やかな風が、壮年の漁師の脇を、老齢の男のシワだらけの頬を、アフリカから違法入国してきたばかりの少年の、汗のせいで首元がすっかり色褪せてしまったシャツの胸を・・・、撫でるのだろうか。そして、プレヴェールと相沢は互いに誤解したままで、それっきり別離するのだろうか? お別れの言葉もないままで? ・・・次は、ひと組みになった写真。もうすっかり夜中で、冬の風は冷たくて、外には出たくなかった。僕は、去年の五月ごろ福島を旅行したときに撮った写真を眺めはじめた。実は、それらの写真の間には、なんらかのひとつづきのシーケンスがあるはずだと僕は思っている。そのときの僕は、自分を見失っていて、際限なく彷徨ってしまう、三時間だけしか眠れず、起きているあいだはひたすらあてどなく、しかしただ遠くへ遠くへと歩いてゆく、そんな状態だった。このような状態のことを僕は、《壊れかけた主体》と呼んでいる。《壊れかけた主体》・・・。彼のことを思うと、もう何も考えることができなくなる。《壊れかけた主体》は、何かを感じるちからさえ失っていて、しかもそのことに気付いていない。一晩中歩き続けて、彼はもうくたくたなはずなのに、疲れを感じることができない。もう半日何も口にしていないのに、飢えも渇きも感じない。部屋からすっかり離れてしまって、どうやってここまで歩いてきたのかも、どうやって帰ればいいのかもわからないのに、不安は感じない。確かに、そこへと行く理由が偶然与えられたのだったけれども、しかし何も感じないまま、福島行きの新幹線の切符を買ってしまう。そして、そのまま、よく知らない町へと行ってしまった・・・。このようなことを想い出しながら、僕は何枚かの写真を選び取っていった。磐梯山へと続く県道のふちに立てられたポールの写真。このポールは、高さ三メートル以上の積雪でも埋もれてしまうことがなく、除雪車を導く。ただ広い畑の写真。放射能に関するニュースがまだまだ絶えないなか、それを振り払うかのように、農夫がくわを差し込んでいる。東京まで220キロという標識の写真。《壊れかけた主体》は、そこから東京まで歩いて帰ることができると本気で思っていた。そして、薄磯海岸の写真たち。あの日と同じように曇り空で、時々小雨が降っていた。家の土台と小さな瓦礫が残されただけ。けれども波の音は、こんなにも静かで・・・。ひび割れた防波堤やコンクリートの土台に、スプレーと型で花や葉が描かれていた。かたちを取り戻すために、それぞれの花はこんなにもくっきりとしていて・・・。近くの水族館(アクアマリンふくしま)に掲げられた、大きな看板の写真。「よみがえれ私たちの海」。よみがえれ、帰ってこい、そしてもう一度、あの場所に立とう・・・。

 

 もう一度あの頃の気分で、というわけではないけれど、以上の流れは、ふたたびブログのようなかたちで何かを書くということに行きついた。これから、数日に一度ぐらいはここで何かを書きたいと思う。いま僕は、人文科学を行うということに困難を感じている。そして、思考のちからは、かつて感じたこともなかったほどの無能力へと低落してしまった。普遍的なもの、一般的なもの・・・、そんなものはもちろん無力へと落ちて、消え去ればいいし、そうなるしかない。けれども、僕にとって思考するということは、そのようなものとは別の次元にあって、そして、僕がすがることのできる・・・、少なくともすがりつくことを期待したい・・・、それがなくては・・・、感性の恐ろしさに怯えていて、たったひとりで立っているような勇気もなくて、そして、あのまなざしによる終わりのない否定にさらされている僕にとって・・・、この生は・・・、あまりにも不確かで、空しくて、おそろしい・・・、そんなものになってしまう。

 

 僕は書く。君にそれとなく言ったことを、ようやく、やることになった。いいだろう。僕は、対自的に、そして、対君的に書く。それが僕の書き方であり、僕の思考だ。

 

 

 

 

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2013年2月14日

 軽率な、無責任な、元気いっぱいな、前回の文章。鼻でわらう。そうしないと、自分の愚かしさに耐えられなくなってしまいそうだから。しかしわらったとたんに、これからここで何を書けばよいのかわからなくなる。文章を消したくはなかった。一度文章を消しはじめれば、その削除は、ここの文章だけじゃなくて、これまでの文章へと、これからの文章へと、そして文章だけじゃなくて、この僕自身へと波及してゆく気がしたから。僕は自分自身に問わずにはいられなくなる。「どうして僕はこんなことをしているのだろう? こんな、無意味で価値もない、おどらされているようなことを?」じっさい、僕は、様々な想像的なもののちからに支配されている。それらのなかには、現実的なもののなかに根拠を有さないようなちからが、いやそれだけじゃなく、ただ単に誰かの主体性を満足させるためだけに編成されたちからさえある。

 しかし、僕はすぐさまこう答える。「想像的なもののちからを無視することはできない。想像的なものは、たしかに存在するのだ。なによりそれは機能している。想像的なもののちからに支配されているのは僕一人だけじゃない。誰もが想像的なもののなかに住まっているじゃないか・・・。真の問題は、想像的なものを単純に否定することじゃなくて(なぜなら、それこそが、想像的なものの支配を完成させるのだから)・・・、想像的なもののちからを認識しつつ、それに対して対自的になり、そしてつねに現実的なものを代表し、つねに感性のなかに居続け・・・、感性を生きづかせることを目指すことだ・・・。」

 

 ふと、こういうふうに思う。つまり、僕は目覚めとともに、すぐさまなんらかの希望を見出せるようになるだろうか? 即物的に喩えれば、毎日、朝起きたときに枕元に五千円置かれているような・・・、そんな目覚めを僕は迎えることができるようになるだろうか?( 軽率な、無責任な、元気いっぱいな、喩え・・・。・・・いいさ、僕はもう軽率に始めてしまったのだから、そして、僕自身、ごまかすことができない軽率さそのものなのだから、この方向を突き進むがままにすることも、ひとつの強さだろう。)・・・、朝起きたとき、枕元に五千円置かれてたら最高じゃないだろうか? しかもそれが毎日続くなら・・・、僕はすぐさま生きづくだろう。毎日、そのお金でどこかに出掛けるだろう。遠くに行きたくなったら、二、三週間ぐらいは家の周囲をぶらつく程度で抑えて、そのぶんお金を貯めるだろう。当然、外国に行ってもこのルールは続くから、僕は世界を放浪するだろう。一日五千円あれば、ずいぶんなことができるはずだ。まずは東南アジアへ。そして、インドへ。そして、砂漠へ・・・。四方八方限りない、灼熱の砂漠に踏み入ると、五千円は意味のない紙切れとなる。僕はその紙切れで風向きを調べる。その紙切れは、ぱっと僕の手を離れて、乾いた風にのってゆくのだ。そうして僕は、歩き始める。毎朝、風向きを調べることができる。しかしその結果、僕は完全に方位を見失い、砂漠を行きつ戻りつすることになってしまう。こうしてふたたび、金に翻弄される生活が始まる・・・。

 

 鼻でわらう。

 

 しかし、ここで僕が書こうとしているものは、もうすでに決まっている。つまり、僕の記述(日記)のうち、2012年の12月から書きはじめた、思考の公準と題されているものを、再考と編集を加えつつ、載せてゆくのだ。思考の公準とは、いま現在も書き続けられている、この僕の自ら哲学することの試みである。思考の公準には、以下のような章立てが与えられている。

 

 

思考の公準 ——現実的なもののなかで

1. 思考は感性の強度を増大させるものでなければならない

2. けれども、感性に迎合すべきではない

3. 感性ー観念について

4. 観念について

5. 想像的なものについて

6. ちからについて——思考者あるいは制作者とは誰か

7. 感受性について——受け手とはどのような者か

8. 主体について

最終章. 感性のなかで

 

 

 以上の章立ては、章というよりも、あるテキストを収める場所、つまりカテゴリーの名前である。僕は、思考の公準を、一本道をたどってゆくように書いているわけじゃないし、はじめからそんなつもりはなかった。例えば、ある日は、主体について考えて書いた。しかし、その次の日は、前日の考察によってはじめて見えてきたもののために、観念について書く。このようにして、様々なカテゴリーを行ったり来たりするわけである。当然、このようなことは同じ一日のうちにも行われる。

 目下のところ、思考の公準 1. と 2. については、ほとんど書き尽くしてしまった感じがしていて、その他のものは、それぞれ三分の二程度は書けたはずである。カテゴリーがこれ以上増えることは、おそらくないだろう。

 とにかく、こまかい注意については、これから書いてゆくなかで十分説明されるだろうし、実際にみてゆくことほうが、抽象的に説明するよりもずっと良いだろう。

 

〈思考の公準は、感じるということを他のなによりも自らの課題とする。そして、想像的なもののちからを認識しつつ、それに対して対自的になり、つねに現実的なものを代表し、つねに感性のなかに居続け・・・、感性を生きづかせることを目指す。〉

 

 

 

 

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2013年2月15日

「考えることを止めるということ・・・。思考を捨て去るということ・・・。結局は、それが正しいのだろうか。(そして君は、どうしてそれがわかっているのにそうしないの? と言うのか・・・。)考えるということを僕が擁護しようとするのは・・・、結局は、思考することを享受できなくなってしまうからという・・・、僕の快楽の問題でしかないのだろうか 。(そして君は、そう確信したが、あえて口にはしなかったのか・・・。)」

 

 

 

 

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2013年2月16日

「二人の若い男女が生まれつきある程度調和するようにできていて、しかも少女が知識欲がさかんで、青年が教えることが好きな場合ほど、うまく調和できることはない。」(ゲーテ)

 

 

 

 

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2013年2月18日

 うぬぼれて思い上がった思考に、それ相応のつけを。取り返しがつかないような失敗によって、思考は、恥辱と後悔のなかへ突き落とされてしまえばよい。思考はそのなかで、孤独に、冷たくなって、そのまま止まってしまえばよい。思考停止こそが、思考の分相応なあり方なのだ。思考はもう動くな!!

 

 

 思考はもう動くな!!

 

 

 ・・・そんなの無理だ。たとえ、考えるということが、間違いのはじまりでしかなかったとしても、ほかならぬ思考こそが、僕らを愚かさへと導いてゆくのだとしても。思考は動きはじめる。僕は思考に連れ回される。思考は、恥辱と後悔のただなかで、そこから抜けだすための新たな想像的なものを形成しはじめる。そして、思考は抜け道を見出す。愚かにも。思考は、徐々に身を立て直してゆく。恥も知らずに。新たな想像的なもの、それは、新たな間違い、新たな愚かしさでしかない。こうして、新たな恥辱と新たな後悔が、ふたたび準備されてゆく・・・。

 思考の悪循環だろうか。考えれば考えるほど、僕は間違い、考えれば考えるほど、僕は愚かになってゆくのだろうか。思考は歩み、失敗の瞬間=門が近づく。それをくぐれば、新たな恥辱と新たな後悔が、頭の上に落ちてくる。

 

 もう考えたくなかった。考えれば考えるほど、僕は何かを損なってしまう、何かを失い、何かを傷つけてしまうと感じざるをえなかった。けれども、彼らの、思考に対する呪いの言葉は、とどまることを知らなかった。「なぜ考えるのか。あなたの思考によって、多くの現実的なものは見えなくされ、駄目にされてしまう。あなたの思考によって、みんなは気分を害する。あなたの思考によって生きづくのは、あなたの想像的なものだけであって、私たちの活動、想い、関係、つくったもの、私たちの生は、抑圧されてしまう。あなたはただ一言、わからない、と言えばよい。そして、もうそれっきり諦めてしまって、もう二度とその恥知らずなものをかえりみるな。もう二度とその愚かなもので私たちを脅かすな。そして、もう二度と私たちに言葉の網を投げかけようなどと思うな。もう二度と、その後悔の檻から、外に出ようなどと思うな」。僕は走って逃げだした。けれども、すぐさま彼らのうちの一人が僕に足をかけ、僕はそこに倒れ込んでしまった。彼らのうちの一人が、僕にのしかかる。そして、僕の耳元に口をよせて、こう叫んだ。「黙れ! 黙らんか! お前のしでかしたことが、まだわからんのか! お前は、お前の恥知らずな思考によって、わしらを否定してきた! わしらはずっと聞く耳をもたないふりをしてきた! けれども、お前の思考の手が、わしらのもっとも切実なものにかけられたとき、わしらはもう我慢ならんかった!お前になにがわかるというのだ! お前が、わかった、と言うそのたびに、わしらは取り上げられてきたのだ! 今度も上手くゆくとおもったのか、この恥知らずな盗人が! お前の思考は、お前の陶酔と狂気のためだけに動いていたのに、お前は自分がなにか高いものだと信じていたのだろう! 馬鹿が! お前は許されていただけなのだ! そして、もう今度ばかりは、お前は許されないのだ!」彼らは群れをなして、倒れ込んでいる僕の周りに集まってきた。ものすごい足音と怒声の群れに、僕のおそろしさは頂点に達した。たまらず僕は顔を伏した。そして、声を押し殺して泣いた。

 

 僕にはとても好きな子がいた。けれども、僕は彼女を傷つけてしまった。それは、僕の思い上がった思考のせいにほかならなかった。僕は、思考が切りきざまれて、もう二度と動き出さないようになってほしいと願った。でも、思考は、この僕にほかならないのではないか? では、誰が僕と僕の思考を監視するというのか・・・? 後悔の檻は、すぐにでも溶け去ってしまうのではないか・・・? そして、思考は新たな悪循環を始めるのではないか・・・? 現に、思考は僕のなかで、もうこんなにも膨らんできた・・・。 逃げるように歩いた。運動の停止が十全な思考の条件ならば、もう止まってはならなかった。にじみでる涙、流れ出しはしないほどの、涙。頬はつねにふるえていた。心臓が凍りついて、あたかもそのまま石になってしまったかのように、胸は重たかった。けれども、歩きつづけなければならなかった。あまりの足の痛みにどうしても動けなくなったら、階段に腰掛けて眠った。

 正しい思考なんて、僕はもう信じられなかった。〈悪しきものであれ、正しきものであれ、思考は同じ泉からそのちからを汲み出している。〉そして、思考は、愚かさも恥も知らずに、親密な声で、僕にささやきかける。「きみは悪くないよ。きみはできる限りわかっていたよ。きみじゃなくて、あの子の考えのなさが、失敗の原因だよ。」

 

 

 思考はもう動くな!!

 

 

 たのむから、僕をもう連れ回さないでくれ。たのむから、後悔の檻のなかで、ばらばらのままでいてくれ。お願いだから、止まっていてくれ。

 

 ・・・・・・ひとを苛つかせるような文章を、これ以上続けてよいはずがない。けれども、これは僕個人の問題なのか。ただ単に、僕が想像的なものに絡めとられているだけであって、思考は、良識ある人ならば、正しく運用されることができるとでも言うのか。しかしいずれにせよ、僕は、思考の不可能性から、思考を立ち上げなければならない。思考の暴力性から、思考の排他性から、思考の狭隘さから、思考を立ち上げなければならない。

 

 

 

 

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2013年2月19日

 書くことへの強い抵抗感・・・。思考に対する不信感・・・。けれども、僕は勇気をだして、続けなければならない。このようなつらい時はたいてい、僕は、思考に対してある絶対的な公準を突きつけた、あの男の言葉を想い出す。

 

絶対に現代的であらねばならない。

讃歌なんてあるもんか。辿り着いた歩みを手放さないことだ。つらい夜よ! 乾いた血が俺の顔面でくすぶっている、そして俺の背後には、あのぞっとするような低木のほかには何もない! ・・・精神の戦いは人間たちの戦闘と同じように荒々しい。だが正義のヴィジョンは神ただひとりの喜びなのだ。 

 

 思考の公準、〈絶対に現代的であらねばならない〉。なんて恐ろしいことだろう。なんて絶望的で、なんて救いようのないことだろう。なんと暗く、なんと冷たいことか。思考の避けがたい性質を、つまりは、思考の不可能性を直視すること。それは、誰の共感も呼ばないし、誰もかばってはくれないことだ。僕はただひとりここに残されるだろう。けれども僕は、歩みを止めてはならないのだ。思考において、「神」を喪失すること。和解に背をむけること。「どうしてそんなに難しく考えるの?」と誰かが僕に問いかける。あなたよ。それは僕にも解らない(と言いたい)。僕は素朴なあの頃をふりかえる。そしてもう一度それに背をむけて・・・、もうそれっきりだ。思考はすぐに「正義」と結びつこうとするが・・・、この公準が、僕からそれを退けてくれるだろう。

 

 前回のようなひどい文章を書いていると、僕はみんながここから遠ざかってゆくように感じてしまう。けれども、このような過程を飛ばして思考の公準を論じることは、絶対にできない。もしそんなことをすれば、思考はなにひとつとして現実的なものを反映しない、単なる想像的なものの氾濫でしかなくなるだろう。僕はもうしばらくは、恥辱と後悔のなかを歩まねばならない。・・・・・・けれども実は、このような最低の時間からこそ何かが生じてくるのだと、僕はいつだって信じている。

 

 

 

 

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2013年2月22日

 ここ数日のあいだ、昼夜を問わず、僕はここで書いていた。限界に突き当っては迂回し、あるいは、限界の線に沿って進み、いらついて自棄になったら、時にその線をまたぎもした。そして、書けなくなる。だから、いそいでそこから逃げ去ろうとする。しかしその結果、逆に追いつめられて、逃げることができないことを感じて、怖くなる。いまも怖い。この記述と思考の線は、いったいどこへと僕を導くのか。この線は確かなのか? 最後まで、僕をうまく導いてくれるだろうか? この線は、次の瞬間にぱっと消えてしまい、僕はふたたび困惑へと、無力感へと、おちいってしまうのではないか。

 僕は、これまで書いた多くの文章をふりかえる。そして、いまはっきりと感じる。僕は、これまで書かされてきた。何によってか。言語そのものはあえて言わないとしても、文章のシンタックスに、すわりのよい発音の並びに、運びのよい接続詞の数々に。あるいは、聖人君子のイメージに! あるいは、悲劇の主人公になるという、そっとしのばされた暗い欲求に。仰々しい言葉を嫌いつつも、ここぞというときには、取りこぼすことが惜しくてそれを書いてしまう=書かされてしまう。つまり、何らかのちからの布置に沿って書いていた=書かされていたのだ。僕の言葉は、僕の内部から出ているのではない。外部から、僕は言葉を発するように誘われて、そのことによって僕の内部は満足してきたのだ。僕に内部はなかった、とは言わない。そのように言えば、僕はまたしても聖人君子のイメージに自己を同一化していることになる。しかし(そう、「しかし」という接続詞が自然と置かれる。書くことにおける、僕のセンスの良さ!)、僕のささやかな内部は、いつでも(「いつでも」? 僕は「いつでも」を、保証できるというでも言うのだろうか)、まるで自分がそれであるかのように、書いた=書かされた文章を読んできたのだった。

 かつて、誰某が以上のようなことを僕に告げたとき、僕はそれをすんなりと理解してみせ、そして傲慢にも、「そんなのあたりまえだ」と思った。だが、理解することと感じることは違う。少なくとも、その理解によって、主体(この「僕」)が感性の次元から揺るがされないかぎり、主体はわかっているとは言えない。主体は、自らを奇妙なやり方で守るのだ。つまり、理解するというやり方で無理解をおかすことによって。主体は、自らを奇妙な括弧のなかにいれてしまう。そうして、それまでと同じように、それからも存続してゆく。

 けれども僕はいまや次のようなことを感じとっていて、困難な動揺から逃れることができない。書かされているのと同じように、僕は考えさせられている。それはわかっているつもりでも、どうしようもなく逃れがたい。ある種の「思考のイメージ」が、僕の思考に先立っていて、僕の思考を導くのだ。このような「思考のイメージ」とは、演繹されただけの、ただの幻影にすぎないのだろうか。だが、このような幻影なしに人は考えることができるだろうか。いまの僕の思考をみてみればよい。それはこのような幻影に追随することを拒み、その結果、追いつめられている。みるみるうちにこの思考は速度を失ってゆき、やがて落下する。こうして、僕がたどってきた記述と思考の線は、ぱっと消えてしまう。僕はふたたび困惑へと、無力感へと、おちいってしまう。

 

 ・・・書くことも、考えることも、決して自律していない(自律性という言葉は、主体の夢なのだ)。なんらかの根拠に依拠していなければ、もっと抽象的に言えば、なんらかのちからに依拠していなければ、思考はちからを持つことができない。問題となっているのは、やはり、何によって思考を導くのか・・・、ということなのだ。思考がちからをもつか否かは、ここにかかっている・・・。そして、〈思考をみちびくものそのものは・・・、少なくとも、純然たる想像的なものであってはならない・・・。〉

 

 新たに引かれてゆく線を、僕はたどりはじめる。

 感覚的に、素朴に、こう思う。正直に書かなければ書かされてしまう。書かされてしまうこと自体は、避けようがないし、考えさせられてしまうことも同様だ。けれども僕はここでは、ある種の陶酔的な、脱自的で恍惚的な記述と思考のあり方とは別な方へとつづく線を、たどらねばならない。つまり、思考の公準へとつづく線を。

 正直に書くこと。それは、回生の光と熱のほうへと、僕を導いてくれるだろうか。しかし、正直に書くことは可能だろうか。それとも、書くということは、不可能と可能のあいだで行われるのだろうか。そう言ってみればだまされたかのようにすっきりするが、いずれにせよ、書かされていることに気づいてしまうともう書けなくなる、という状態にいま僕は陥っている。ここ数日のあいだ、それなりの量の書いた=書かされた文章が、ここで消えていった。このような状態はいったい何によって引き起こされているのだろうか。ここの外に立ってそれを批評することは容易いだろう。いくらでも、どのようにでも言えるだろう。でも僕は、外ではなくここに立って、自ら考え、自ら書かねばならない。僕はこのような状態を生きなければならない。

 正直に書くこと。それはどのようなことだろうか。・・・・・・それは、〈感情によって試しながら書くこと〉だ。

 

 

 

 

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2013年2月23日

 何を言えるのか。そして、何を言えないのか。

 書く、問い返す、書く、問い返す、書く、問い返す、・・・すべてを消してゆく。

 考える、問い返す、考える、問い返す、考える、問い返す、・・・すべてを棄却する。

 もう、疲れてしまった。自らの、誤摩化しがたい無力さ。僕は、焦りを感じる。そして、もう何も言えなくなるという、怖れにとらわれる。

 もちろん、日常的な良識によって、生活することはできる。けれども、少しでも確信を込めたことを言おうとして考えはじめると、僕はかならずどこかで、考えることができなくなってしまう。そして、なんら確信のない生活を想像して、恐慌状態におちいる。

 

 たくさんの情緒的なことが書かれては消されていった。いましがたもひとつ、君についてのことを書いたけれど、しばらくすると、これは嘘だと思って消した。いや、ちゃんと正直に書こう、それはまだ、いまもこの文章の下方に、消されずに残されている。去年の秋ごろ、ことあるごとに僕に語りかけてきた、君の幻影の言葉だ。僕は、これをどうすればよいだろう。・・・、わからなくなってきた。・・・ああ、やっぱり消えてゆくんだな。

 

 このような状態はいったい何によって引き起こされているのだろうか。自ら問わねばならない。僕は、僕の思考の、そして、僕自身の息の根をとめるつもりで、問わねばならない。

 ・・・僕は彼らを問うてきた。どうやってか。彼らの立ってだ。それは、非情で、不当なやり方だ。なぜならそれは、彼らの生きた状態から生じてきたものを、生きていないようなものと同じように扱うということに、ほかならないのだから。例えば、僕はヴィンケルマンの死を問うた。彼は強盗に刺殺された。「しかし、もしも彼が古代ギリシアを絶対化することなく、他の芸術へ寛容心を持つことができていたならば、このような悲劇は回避できたかもしれない。」・・・、なんて非情な言葉だ。いま僕は、自分自身が生きているものだとは信じられない。僕は、ヴィンケルマンという生を疎外することによって、このように語ったのだ。けれども見方を変えれば、それは、僕自身が生の外に立っていたということにほかならない・・・。あるいは、僕は有神論者を問うた。彼らが信じている神など、存在しない。神とは、あなたたちが威力を発揮するために、つまりは自分自身を信じるために、あなたたちが創り出したものでしかない。・・・ああ、僕はいま、彼らの神に裂かれてしまいたい。僕は彼らを知らずに、彼らの外に立って、このように語ったのだ。心優しい有神論者をも・・・、あの田舎の素朴な人々をも、僕は否定したんじゃないか。あの映像のなかにいた、素朴で、感じやすくて、となりにいるひとを気遣っていた、去ってゆく旅人を祈っていた、そして、争いのない世界を祈っている、あの宗教者たちの共同体を、僕は追放しようとしたんじゃないか。僕自身が、自分の威力を発揮するために、自分自身を信じるために、無神論を奉っていたんじゃないか。

 ・・・僕はどうして自分自身を問わなかったのだろう。本当に問うべきは、彼らではなくて、自分自身じゃないか。たとえどれほど彼らが不当であっても、僕はまず、自分自身を問うべきじゃないのか。そうしなければ、どうして僕が責任あることを言えようか。どうして、僕の言葉にちからがあろうか。いったいどうして、僕の思考に正直さがあろうか・・・。

 

 ・・・考えることは、容易だった。書くことは、簡単だった。単純なことだった。ただ単に、その場のちからの布置を読み取って、それに沿うようにすればよい。持ち前のセンスの良さが、会話、会議、ゼミといった、その場の価値観を形成しているちからの布置を見ぬく。「こういう事を言えば、僕の言葉はちからを有するだろう」。なぜなら、その場のちからの布置が、僕の言葉にちからを供給するのだから。僕は強くなったような感覚を感じた(だがこれは、想像的なもの=観念によって感性がやられてしまい、感じさせられていただけなのだ。想像的なものによって感覚が麻痺してしまい、正直に感じることができなくなっていたのだ。感性が、想像的なものによって支配され、規定され、つまりは想像的なものの命じるがままに、感じさせらている。僕はいま、このような状態を最悪の感性帝国と呼ぶことにしている)。そして、強くなった感覚のまま、僕はどこへでも言葉の網を投げた。自らが依拠しているちからの布置を、そこらじゅうに普遍化した。いや、はじめから普遍的なものであると疑わなかった。なぜなら、僕が依拠しているちからの布置とは、ほかならぬ哲学なのだから!

 

 

 吐き気がする。「哲学なんて、一個のディシプリンさ」なんて言っておきながら、僕は自分の言っていることが、まるでわかっちゃいなかった。

 

 

 ・・・けれども、僕は君に会うようになった。それは、好運だった。そして、地獄だった。なぜなら、僕が依拠していたちからの布置は、ずたぼろのごみきれとなったから。僕の言葉にはちからがないことを、とても実践的に、僕に感じさせたから。狼少年の言葉からちからが失われたように、僕はとてつもなく惨めだった。それは、好運だった。なぜならそれは、想像的なものから与えられたちからなんて、ほんとうはなんのちからもないのだということを、感覚をとともに僕に教えてくれたから。そして、地獄だった。それは、なによりも耐えがたい地獄だった。

 

 考える、問い返す、考える、問い返す、考える、問い返す、・・・すべてを棄却する。

 書く、問い返す、書く、問い返す、書く、問い返す、・・・すべてを消してゆく。

 この状態は、地獄なのだ。 

 

 

 

 

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2013年2月24日

 つまり、僕がこのような状態に陥っているのは、考えるさいの根拠を、言い換えればちからの布置を揺るがされたからなのだ。あらゆる意味で、僕がそこに住まっていた想像的なものの編成(ちからの布置)は動揺し、流れ去ってしまった。

 いま僕は、自分が様々なちからによってあちこちへと引き廻され、引き裂かれているのを感じる。ある想像的なものが、そのちからを存分に発揮するまえに、それとは別な想像的なものによって打ち負かされ、否定される。その繰り返しだ。僕という、これまたひとつの想像的なものは、他の様々な想像的なもののちからをまえにして、立ちすくむ。とりわけ、「彼ら」のちからをまえにして。そして、僕は彼らに取り押さえられ、引き廻され、ごみきれのように置き去りにされる。僕は彼らに対して強くでることができない。彼らに対して、僕はいくらかは言うことができるはずだが、それさえも自ら取り下げる。彼らのことを、超自我だとか〈他者〉だとか言ってしまうことは間違っているし、なんの意味もない。なぜなら、そのような言葉は、特定のちからの布置を前提としてはじめてちからを発揮するのだから。そして、そのようなちからの布置は、もはや霧散してしまって、ふたたび編成されるときが来るなんて、いまは信じられない。・・・それとも、僕は依然として、なんらかの強力なちからの布置のなかにいるのだろうか。それも、彼らによって形成されているような? 彼らが僕の思考を支配してしまったのだろうか。彼らの弱さと、そしてこの上ないほどの強さ。僕は彼らを追い越すことができない。つまり、彼らよりも前に自分を置くことができない。彼らが考える。彼らが僕を考える。・・・この窮屈さ。そして何より、彼らは演繹されただけの幻影じゃない。たとえそうだとしても、強力なちからを行使していること自体に変わりはない。

 僕が自ら何かを考え、それによってちからを取り戻せるとしても、僕は彼らを追い越せないだろうと、いまは思う。それに、彼らを代表することもできない。なぜなら、彼らは誰によっても代表されえないから。ならば、僕が自ら考えることは、もはや不可能なのか。そしてそれは、思考の終わりなのか。それとも僕は、思考の公準によって、彼らを追い越すことはできなくても、彼らの横に並ぶことくらいならできるのだろうか。それは、思考の公準そのものが明確にあらわれたときにはじめて、彼らが、あなたたちが、僕が、そして君が、各々に感じとることだろう。

 

 

 これまでここで書いてきたなかで、僕は何度か思考の公準の入り口へと行きついてきた。けれども、そのたびに僕は、あえてそのなかへは入らずに、気を重くしながら、思考の不可能性のほうへと戻り、繰り返し執拗に、思考の不可能性を見てきた。それは思考の不可能性を絶対に忘れたくないからだ。それに、思考の暴力性も、そして、思考の無力さも、僕は忘れたくないし、忘れられない。いまや、僕はかなりきついところまで自分を追いつめたように感じる。文章だって、もうよくわからない。書いていることも、大部分が半信半疑のなかに沈んでいる。懐疑の沼とはまた違うような、恥辱と後悔もまざっているような沼に、僕は半身を沈めながら書いた。僕がそういうふうにできたのは、すでに思考の公準という回生の糸口を、ある程度は掴んでいるからだ。けれども、やはりきつい。

 けれども、もうすこしだけ、思考の不可能性のほうにとどまって、ここで書きたいと思う。もちろん、思考の不可能性はつねに取り上げつづける。けれども、僕にはまだ、思い当たるいくつかのことが残っている。これを書いてしまわなければ、思考の公準は依然として遠いままだ。

 僕は、この「僕」という言葉によって、読んでくれているひと(想定される)に、相当な不快感と負担をかけてしまっていることを感じざるを得ない。この「僕」という言葉は、あなたたちに壁のようなものを感じさせていると思う。そして僕自身もまた、この「僕」という立場に立つことによって、非情なまでの書きづらさを強いられる。「僕」という言葉は、読みづらさと書きづらさの、最悪の次元なのだ。けれども、対わたし(for  me = わたしにとって)の次元を問わないことには、思考なんて言ってもどうしようもない。僕は、あなたたちに、あなたの対わたしを問え、などとは言わない。そして、思考の公準は、対わたしの次元ではなく、対われわれ(for  us = われわれにとって)の次元で行うことを言っておきたい。もっとも、この「われわれ」が具体的にどのような人々を指すのかは、思考の公準が書かれてはじめてわかることだけれども。

 けれども、僕はあなたたちに聞きたい。思考とはいったい何であり、そのちからはどこから供給されており、そしてそれはいまわれわれにおいて、いったいどのようなことになっているのだろう。そして、最低点を現在進行形で更新中の、この今にも崩れ落ちそうな記号の連鎖は、なにに引かれることによって、ちからを取り戻すのだろう。

 僕は、あなたたちに聞きたいと言ったが、このようなことを、僕はあなたたちに言いたい。そして、あなたたちに聞いてほしい。もうすこしだけ、気が重くなるようなこの地獄を見たら、必ず。

 

 

 

 

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2013年3月2日

〈思考は、個人的であることを免れえない。〉思考は、それが機能している当人の気質や想像的なものの布置から、要するにその当人の考え方から、逃れることはできないのだ。思考それ自体など、ありえない。支配者的な思考もあれば、悲観的な思考もあり、マゾヒスティックな思考、臆病な思考、保守的な思考、体面を捨てられない思考、信じやすい思考、合理的な思考、すぐに恋に落ちてしまう思考、反逆的な思考、強者の思考、堅実で真面目な思考、情にながされやすい思考、母親の思考、英雄的な思考、すぐに落っこちてしまう思考、神と結びつきやすい思考、工事現場の思考、数学者の思考、身体に刃をあてる思考、思考が長続きしない思考、なまけものの思考、他人をいつも気づかう思考、めんどくさい思考、トラブルに陥りやすい思考、ヒエラルキーを気にする思考、高校教師の思考、犯罪的な思考、ロマンティストの思考、資本家の思考、コンピューターの思考、野球部員の思考、哲学者の思考、陸軍中佐の思考、バンドマンの思考、学芸員の思考・・・、思考は、思考するものの数だけ、いや、思考するものがさらされている様々な状態によっても思考のあり方は変化するのだから、まさに無数にある。これはその一因を、想像的なものの性質そのもの(多様性)に有しているのだが、それは思考の公準のなかで詳しくみることにして、いましばらくは、この「僕」の思考にお付き合いいただこう。

 

 客観的な思考など、ありえない。他人の考え方が異常に思えるとしても、そのことはなんら、自分の考え方の客観性を証し立てるものではない。逆にその他人からすれば、僕の考え方ほど非常識なものはないのだろう。

 ・・・高校生のころだ。僕の思考には、ある悪癖があった。異常心理という名前で呼ばれていたそれは、僕にずいぶんと損をさせた。

 異常心理は、以下のような自己認識を欲しながら、思考のなかに場を占め、作用している。すなわち、「自分は、周囲の人間のなかで、とりわけて際立っている・・・。」このような心理は、僕が行う他人とのコミュニケーションを根本から支えていたように思う。このような心理が崩れされば、僕はコミュニケーションを満足に進めることができなかった。反対に、このような心理が安定しているとき、僕は話している他人を笑わせ、尊敬することができた・・・。

 異常心理の思考。これは、アイデンティティと呼ばれている問題領域のなかに属しているのだろうか。つまり、自分に自信を持つことができなければ、自分が誰かわからなくなれば、またたくまに不安へと転落する・・・、主体性の意識の問題なのだろうか。僕は、自分の特異性が十分に確認できないとき、考えるということがとても困難だった。考えることはおろか、他人の、とりわけ友人たちのまえにいることに、罪悪感さえ感じた。・・・やはり、ひとつの「思考のイメージ」として、アイデンティティがあったのだろうか。じっさい、自らの特異性はすぐさま、自らの何らかの正当性を証し立ててくれるように思えた。特異性は、僕が考える内容の何らかの正当性を保証してくれるように思えた。「僕は、みんなから一目置かれているのだから、僕の考えることにもやはり、なんらかの価値が認められるだろう・・・。だから、僕が考えることは、決して罪悪ではないし、むしろ有益だろう・・・。」自らのうちに特異性を感じとることができればできるほど、僕の思考の何らかの正当性と価値は増してゆく・・・。そのような正当性と価値が保証されてはじめて、僕は他人へと目を向けることができ、他人を気づかい、他人を心から尊敬することができた・・・。僕は、時には優しい人だと言われもしたが、じっさいにそうすることができるためには、他人よりもまず自分自身が救われていなければならなかった。それだけじゃない。僕は、自分自身に価値を感じることができなければ、他人のことをまともに評価できなかった・・・。

 しかしこれは、裏を返せば、僕がとても弱い人間だったということにほかならない。僕は、誰かに認められていなければ、そのうち自分が解らなくなってしまう。僕は、〈自己〉自身によって、自らを肯定することなんて、とてもできなかった。

 莫大なちからを供給された、ひとつの強力な主体? まるで、ヒーローみたいだ。僕はそのような人物像に憧れていたのだろうか。それとも、そこまで単純でもなかったか。けれども、もしもあの頃の僕に具体的なヒーローがいたとすれば、僕はそのひとに認められていなければ、なにもできなかっただろう。

 だが、異常心理の最も深刻な問題は、このようなことではない。むしろ、このようなことだけならば、それはありふれた弱さであり、異常さではないだろう。異常心理の思考が有していた病的な異常さ、それは、他人に対しても特異性を求めるということだった。僕は、よくありふれているようなひとの考えに対して、聞く耳を持てなかった・・・。ありきたりな考え方の人、言いかえれば、よくある典型によって機能しているような思考するもの・・・、僕は、このような人々の前から早々に立ち去った・・・。反対に、どこか際立ったところのあるひとの話には熱心に耳を傾け、好んで付き合った。しかしこれは、他人に対する弁解しがたい不公正さにほかならない。しかし、他人の思考に対して、ようやく、あるべき公正さを意識できるようにはなってきたいま、僕はこう思う。僕は、どれほどの驚くべき思考を聞き逃したことか。どれほどの見つめるべき生の前から、立ち去ったことか。・・・そして、どれほどのコミュニケーションの機会を、自ら潰してしまったことだろうか・・・。

 ・・・はっきり言うべきだろう。この異常さは、やはり、弱さだ。しかし、ありふれた弱さではなくて、あきらかに度を超した弱さだ。「誰もが平等に理性を有している」だって? 僕は、それが怖くて仕方がなかった。なぜなら、もしも本当に誰もが思考において何らかの正当性を有しているとするならば、・・・この僕の思考もまた、無数にある思考のひとつがもっている程度の正当性しかもたないということになるから。僕の思考もまた、ありふれた、ありきたりな思考と同様の価値しかもたないことになるから。僕は、なんら特異な存在者ではなくなる。僕の思考から、価値が失われてゆくことになる。

 でも、そのようなことをはっきりと認められないならば、僕の思考は弱いままだ。ただ僕ひとりが俯瞰者で、圧倒的大部分の人々の思考は、自分の足下に沈んでいる・・・、そのようなイメージのなかで行われる思考は、真のちからを有してはいない。僕は、他人と同じ地面に立って、彼らと対面しなければならない。そして、彼らの思考の強靭さそのものと渡り合わねばならない。・・・もちろん、実際的に。それによって、僕の思考の弱さははっきりと露呈するだろう・・・、けれども、ほとんどすべてはそこから始まるのだろう。

 もしも僕に具体的なヒーローがいたとすれば・・・、僕はその人が怖くて仕方なかっただろう。なぜなら、それは僕の不必要さを意味してしまうから。僕の思考よりも、彼の思考の方が優れているならば・・・、どうしてまだなお、僕が考えることに価値があろうか。彼は、僕にとって、ヒーローであるとともに、このうえない憎悪の対象だろう。

 ・・・じっさい高校生の僕は、多くの友人と一方的に絶交した。ひとつは、彼らの救いがたいまでの軽薄さのために、そしてもうひとつは、・・・言い訳できそうにない、コンプレックスのために・・・。

 ・・・弱さだ。思考の強さではなくて、・・・弱さそのものだ。僕は自分に自信がないために、彼らを、多くの友人たちを、認めることができなかった。たとえ彼らが、救いがたいまでに軽薄だったとしても、僕が強さをもっていれば、コミュニケーションはありえたかもしれない。そしてそこから、何かが生じてきたかもしれない。僕は、彼らの考え方が異常だとしか思えなかった。確かにそのころから、僕は自分の考え方こそが客観的だなんて思っていなかった。けれども、自らの思考の正当性は、・・・絶対的に感じていたし、疑わなかった。彼らの思考を認めてしまえば、僕は自分自身の思考を彼らの下位に置かねばならないと・・・、思わざるをえなかった。・・・弱さ。・・・、絶交を重ね、孤立を深めてゆくことは、強さではなくて、弱さだった・・・。

 僕は、高校生の思考を引きずったまま、大学の二年間をすごした。それは、高校生のころのような生活ではもちろんなかった。すくなくとも、自らの思考の異常さに気づかざるをえず、それに苦しめられてはいた。大学一年のとき、見知らぬ僕に親切にも話しかけてきてくれた幾人かの人々を、僕はつめたくあしらった。でもそれは、話したこともない彼らを、取るにたらないものと見なすことで、弱い自分を守っていたのだ。しかし、僕はそのときの自らのふるまいを忘れることができなくて、徐々に、申し訳なさと情けなさを感じるようになった。大学三年生になったとき、僕はそのなかのひとりと偶然会うようになって、ずっと気にしていたことを、ようやく謝ることができた。

 しかし、異常心理の思考は、あの頃の弱い僕を生かしてくれてもいたのだろう。なぜならば、弱い僕が、弱いままで正面から誰かと向き合ったならば、きっと間違いなく、僕は砕け散っていただろうから。

 そしていま僕は、やはり依然として、異常心理によって自分が生かされているように感じる。 

 

 

 

 

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2013年3月4日

 文章を、正直に書く。これだけが唯一、何かを書くさいに、いまの僕がとりうる書き方だ。文学的な、おおげさな言い回しをできるだけ避けること、そして、口で話すように書くこと。けれども、それは現実性に沿って書くということではない。なぜなら、現実性とは、正直さではなく、嘘と同じようなメカニズムによって支えられている感覚だからだ。しかし、現実性を失えば・・・、そのうち、自分が何をしているのかわからなくなってくる。・・・正直に書いていると、そのうち、自分が何を書いているのかわからなくなる。

 困難さのただなかで、自分自身に向かい合って、自分に切れ目を入れ、自分の内部から不快なものを引きずりだしているような感じだ。これは、手術なのだ。しかし決まって、不快なものとともに、僕を支えているものまでも出てきてしまう。ここで、ほかの場所ではなくてここで、これについて書くべきなのだろう。僕を支えているもの・・・、それは、弱さだった。弱さが、僕のちからのひとつだったのだ。 僕は、かったからこそ、何かを書いたり、何かを考えたり、音楽をやったり、写真を制作したりしたのだ。弱かったからこそ、たいていの場合打ちのめされていたからこそ、そのぶん強くあろうとして、自ら立とうとしたり、自ら何かをしようとしたのだった。

 弱さの肯定? これからも僕は、このようなやっかいなちからのために、何かをしてゆくのだろうか。それは避けられないだろう。弱さは、ちからを求めるちからだ。ちからを求めるちから・・・、ひとつの意志のような。けれども、絶対的に強くなることはない。

 反対に、ありあまるほどの、ちからの過剰さ。それが、思考と制作を貫いているように感じるときもある。けれども、正直に言うべきだ、それはつねにじゃない。

 ・・・僕がはじめて写真を制作したのは、ある焦りのなかでだった。白い花びらの表面に、茶色く痛んだ穴がいくつも空いてしまって、醜さ(もっとも、そのとき僕は醜いとは思いたくなかったし、思わなかったのだが)に侵食されながら、枯れ果ててゆくさなかにあった、一輪のゆりの花。それが、僕がはじめて写真を制作したときの対象だった。しかし一方で僕のほうは、十全な主体、言い換えれば、熟練した技術によって対象をコントロールし、いかなる欠点もない作品を完成させる主体などでは、全くなかった。むしろ僕は、自分自身を、あまりにも、・・・あまりにも不十分な主体としか思えなかった。対象の切実さは測りしれないほど巨大だが、その対極としての主体の位置に立たされている僕は、その切実さに釣り合う制作者ではない。死のさなかにあるこの生を救えない・・・、まさにこのことが、僕にどうしようもない焦りを感じさせた。ひとつの生が僕の手にかかっている。そして、なによりも生に関わることだから、逃げ出すことなど絶対にできない。ぼろぼろになったあのゆりの花を空き地でつんだときから、僕は常軌を逸したような責任の重さにとらえられていた。

 ・・・けれども、人はこのように言うだろうか。「花が枯れるなんて、当たり前のことだ。生が消えてゆくのは、避けようのないことで、大抵の人間はそんなことなど気にしない。お前は気にしすぎだ」。・・・その通りだ。じっさい、とても想像できないほどの無数の生が消えていった。一輪の花を写真に残すことでその花の生を救えたとしても、それはとても些細なことでしかない(とは言いたくないけれど)・・・。

 ・・・結局、ひとつの生が消えてゆくという、あまりにも当たり前のことを認めることができなかった僕の弱さに、あのときの焦りと制作は原因を有していたのだ。・・・あの花自体は、救われることなど求めてなかっただろう(擬人化と感情移入というちからが、僕のなかではたらいていただけなのだろう)。ただ僕のほうだけが、「ひとつの生が自分にかかっていて、自分はこれを救わねばならない」と焦りながら、ひとり相撲をとっていたのだ。大抵の人は、ひとつの命が、それも花などというきわめてありふれた命が死んでしまったとしても、それによって傷ついたりしないだろう。だが、僕はあの花に、ひとつの生という価値を投射していた。救いたかったのは、あの花であるとともに、ひとつの生という価値そのものだったのだ。ひとつの生が、どうして消えるがままに打ち捨てられてよいだろうか。

 しかし、ひとつの生が消えてゆくということそのものは、否定されうることじゃない。それがどうしようもなく気になっていたのは、やはり、僕の弱さのためだった。僕が、救わねばならないと半ばヒステリックになったのも、そしてそれができないと焦っていたのも、弱さのためだった。

 飛躍して言ってしまえば、結局、救うということで問題になっていたのは、対象であるとともに、この僕自身だったのだ。僕は、自分自身が救われないということが恐ろしかった。なぜなら、自分もまたひとつの生にほかならないから。

 

 

 

 

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2013年3月5日

 はたして僕は、「思考の公準」の入り口にまでたどり着けるのだろうか。いま僕は、思考の公準よりも根源的な状態である、思考の不可能性のなかにいる。それは、さまよいのようなものだろうか。彼らに出くわしたり、ちからの布置を奪われたり、公準の入り口に着いたり、君の幻影にまなざされたり、恥辱と後悔のなかへと沈んだり、もう文章を気にしなくなったり、かつての自分を通していまの自分を手術したり、これから先のことを信じることがほとんどできなくなったりしながら・・・、僕はさまよってきたのだろうか。

 しかし僕はもう、このようなさまよいから出なくてはならない。〈思考の不可能性は、思考の最も根源的な次元なのだから、くつがえすことはできない〉。絶対的に何かがわかるということは、原理的にありえないということだ(少なくとも、絶対的に何かがわかるということが、現実的なものと想像的なものとの一致ということを意味するのであれば、それはありえない。なぜなら、そもそも、わかるということが機能しているのは、現実的なものの次元(=物質界)ではなくて、想像的なものの次元(=想像界)だからだ。言いかえれば、現実的なものの次元には、意味もなければ価値もない。意味や価値が住まっているのは、あるいはそれらが機能しているのは、本性的に、想像的なものの次元においてである)。

 では、いったいどうすれば、思考の不可能性から、思考が可能になるのか。おそらくそれは、感性の成立によってだ。そして、ちからの布置(あるいは、「思考のイメージ」と言いかえることもできる)が編成されることによってだ。これは要するに、によってだ。生が、考えるということを極めて実際的に可能にしているのだ。

 思考の不可能性から出ること。言いかえれば、考えるということ。それは、生を意志するという飛躍によって可能になる。

 生きるということを、はっきりと意志すること。

 眉間に皺を寄せながら、唇をきつく張りながら、右手を握りしめながら、胸になにかの重みを感じながら、下腹部に違和感を感じながら、呼吸がすこし困難になって、・・・いまにもたまらず目をつむってしまいそうだ。けれども、目をつむってはならない。

 ・・・考えるということは、生きるということに結びついているはずだ。

 それが、どのような生であれ・・・。

 

 

 

 

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2013年3月8日

 ここでは、多くのことが、書かれては消えていった。それに、書かれることができたものも、そのほとんどが、愚かさをまぬがれえなかった。当然だ。思考の不可能性のなかで思考すること自体、すでにぎりぎりのことなのだから。

 思考の不可能性のなかに、こうしてずるずるととどまっていようと思うのは、たぶん、思考に対して、あるいは知性に対して、もう訣別してしまいたいからでもあるのだろう。たくさんの才気ある人々、ちからに溢れた人々が、思考に背を向けてしまった。そのような多くの人々が向かった先は・・・、感覚だった。・・・けれども知っているだろうか、芸術家たちよ。感覚というものは、その片翼を、想像的なものによって担われていることを。

 ・・・絶対に何かがわかるということはない。けれども、思考は止まない。思考は推進してゆく。想像的なものは、主体による制御など受けつけずに、それ自体で爆発的に膨らんでゆく。思考は、連続的に歩んでゆく、あるいは、不連続的に消えたり現れたりを繰り返しながら・・・、いつまでも・・・。死を除いて、思考が止まるときはくるだろうか? われわれは、眠りのさなかでも考えている。

 思考は歩んでゆく。でも、どこへだろう? それはおそらく、止まることができるところまで。でも、それはどこだろう? 例えば、神がそうなのかもしれない・・・。思考の不可能性のなかで、たくさんの人々が絶対者と出会った。そして、それが思考の歩みにおける、必然であると言われた。でも、われわれのうちの最もちから強い思考のひとつは、神をも殺して、歩んできた。

 普遍的な性質を認められる観念(=想像的なもののひとつ)が、思考を止めるのだろうか。思考は、そのような想像的なものの次元を、目指しているのだろうか。そんなわけない。悪しき思考は、普遍的なものを台無しにする。悪しき思考は、思考することに飽きない。悪しき思考は、自らに縛りつけられた主体を、容赦なく、高速で、荒々しく、引き廻す。主体は、勢いよく暴走する車にロープで縛りつけられた罪人のように、そこらじゅうを引き廻され、ぼろぼろになる。一方で、普遍的なものへと無事たどり着いた善き思考は、そこがひとつの想像的なもの(=妄想)にすぎないということなど想像もせずに、安堵する。・・・、愚かにも。生きながらも思考が止まれば、それは愚かさの極致にいることを示す。あるいは、死んでいるのと同じだ・・・。生きているかぎりは、思考は止まないはずだ。最低の時間のなかで、いまにも消えてしまいそうになっても、思考はいずれ燃え上がる。そして、めまぐるしく渦をまくように、あるいは全く不連続的に・・・、思考は・・・、気持ち悪いまでに、動きつづける。

 迷妄。そのちからの凄まじさ。それは、間違いなく善き思考にも劣らない、主体を貫くちからである・・・。思考を、論理的なものだけに限定してはならない。むしろ、論理とは思考を動かすひとつのちからであり、論理とはまた違った、強力なちからもあるのだ。

 思考の不可能性があらわになったあとも、思考のなかにとどまろうとする人々。彼らは、不幸だろうか。彼らは、自らが夢を見ていることに気づきつつも、同時に、夢から覚めることはできないということを知ってしまった。われわれは、眠りのさなかでも考えている。

 僕は、夢を見ている。けれども、夢をもひとつの存在として認めようと思う。想像的なものとは、存在の一形式である。想像的なものは、物質とはまったく違うが、それでも、存在していることに違いはない。僕は、二元論的な存在論を主張する。互いが互いに反映し、さらにその反映が、またしても互いに送り返されてしまうような、とても複雑な二元論を。

 

 

 ああ、思考の公準の入り口が、そこらじゅうに。

 

 

 

 

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2013年3月9日

 僕はいま、危機的な何かを感じているのだろうか。いま、われわれの想像的なものは、どこへ行こうとしているのだろう? われわれはふたたび、想像的なものの過剰によって、現実的なものの爆発へと、向かっているのではないか? もしかすると、現実的なものの、第三回目の爆発へと・・・。

 僕は哲学を学んだ。それゆえにというわけじゃないが、僕は、政治学にコンプレックスを感じている。僕は最近、政治学の本を読んでいる。そして、たびたび泣き出しそうになってしまう。僕は、自分の弱さのために、政治学の領域にいることに耐えられなくなる。政治学をやるには、僕は弱すぎる・・・。・・・でもわれわれは、政治から逃れられるとでも言うのだろうか。われわれは、政治という対われわれの次元の想像的なものから、自らだけをきれいに切りとってしまい、政治的なもののちからから、離脱できるとでも言うのだろうか。われわれの人文科学は、それはそれでまたひとつの対われわれの次元の想像的なものだが、それは、自らを、政治的なものの領域から切り離したのだろうか。そしてそれは、現代的な国家における知のあり方なのだろうか。

 いずれにしても、国家というものは救いがたい。われわれは、国家なくては生きていけない。しかし、国家はひとつの想像的なものとして、やはり拡大してゆく。頭のなかで妄想が膨らんでゆくように、国家も膨らんでゆくのだ。もちろん、国家は現実的なものと関係している。けれども国家は、やはり想像的なものの性質の通り、現実的なものを追い越そうとする。想像的なものは、現実的なものを支配しようとするのだ。現に、われわれがただ生存するだけで十分ならば、どうして国家にこれほどまでの威力やイデオロギーが必要だというのだろうか。実際のところ、国家は単なる生存のための手段ではないのだ。それは、不可避的に、想像的なものの過剰へと方向づけられている(想像的なものそのものが、過剰へと向かう傾向性を有しているからだ)。想像的なものが現実的なものを支配するようになるということ。けれども、二元論が一元論になれるわけはなく、想像的なものによる現実的なものの支配は、逆説的に、現実的なものの爆発へと至るだろう。

 正直に言って、いま僕は戦争が怖くてしかたがない。僕は、このような人々を大げさだと思っていた。けれども、思考が自明でなくなったいま、つまり、何かを信じることが非情なまでに困難になったいま、僕は観念によって自分を守ることができない。ちょっとした、恐慌状態に陥っている。

 

 

 

 

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2013年3月13日

 思考は止まらない。けれども、もうどうしようもなく動くことができなくなる瞬間がある。あなたがたが僕に教えてくれたことだが、ベンヤミンはこの瞬間を、次のように表現している。すなわち、「思考はモナドとして結晶化する。」僕は、彼の述べていることを、ここでも繰り返して述べたいと思う。

 思考には、ショックをともなうかたちで撃たれて、動くことができなくなるときがある。でも、思考は何によって撃たれるのか。それは、現実的なものによってだ。そしてそれこそが、現実的なものを代表する想像的なものが生起する、ひとつのチャンスとなる。

 僕は思考の公準のなかで、ひとつのプログラムを述べる。それは、現実的なものという、存在のもうひとつの存在論的な形式と深く関わっている(思考の公準は、存在のふたつの存在論的な形式を明らかにする。ひとつは「あるものとしてある」という、現実的な存在の形式。もうひとつは、「あらぬものとしてある」(プラトン)という、想像的な存在の形式)。思考にちからを取り戻すこと。これがそのプログラムだが、それは、現実的なもののなかで考えるということによって、達成できるはずだ。

 しかし、われわれはすぐさま思考の公準に問いかけたくなる。「それでは、その現実的なものとやらは一体なんなのか?」思考の公準は、この問いを担わねばならない。

 ひとつだけ、いま言えることは・・・、現実的なものとは、われわれにとって多少なりとも外傷的な性質のちからを有しているようにみえる・・・、ということだけだ。それは、思考を動けなくする。それによってわれわれは、もう何も考えられなくなるような時間、言わば「最低の時間」のなかに陥る。そして、思考の公準はいつだって、いや、思想はいつだって、そのような時間から生まれてくる。

 

 

 

 

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2013年3月14日

「最低の時間」について語るには、僕はあまりに役不足だ。なぜなら、なんだかんだ言ってもやはり僕は、これまでとてもめぐまれた環境で生活を続けることができたから。僕自身にも、そして僕の周囲の人々にも、大事件と呼ばれるほどの痛ましいことは起きなかった。不慮の事故で誰かが死んだり、身体あるいは精神に障害を負ったり、じわじわと苛まれるような類いの苦痛に陥ったりした人は、いなかった。それが僕の高校を出るまでの生活であり、人生経験とも呼べないような人生経験だった。もちろん、僕は僕なりに傷ついたし、僕の友人にも、どちらかと言えば目につくような類いの不幸や失敗を負った人はいる。けれども、それらは致命傷ではなかった。僕の家にも僕の家なりに、家族が凍りついてしまうような失敗があった。でも、それはこの僕を台無しにしてしまうような程度ではなかった。僕は恵まれていなかったと言えば、それは明らかに嘘になるのだ。「最低の時間」を、僕は知っているだろうか。たぶん、僕が生きたそのような時間は、確かにとても低いところへと僕を落下させたが、しかし底ではなかった。「最低の時間」が必ず、誰の眼にも明らかであるような、わかりやすい悲劇的なかたちをとるものだと言う気は全くない。おそらく、その人なりにその内容は変わってくるだろう。しかしそれでも、この僕には、最低の時間について語る十分な資格はないと思う。もしも僕が、最低の時間について語ることができるなら、それは、僕が他の人よりもいくぶんか弱いという、つまりいくぶんか傷つきやすいという、そのことだけによるだろう。

「最低の時間。」それはたぶん、取り返しのつかないような喪失のさいに、その真っ黒な大口を開ける。例えば、誰かの死がそうだ。突然のものであれ、十分にわかっていたものであれ、誰かの死の知らせを聞いて、その前の瞬間と同じように振る舞うことができるようなひとはいない。考えることができなくなるような時間のなかへ、われわれは飲みこまれてしまう。かつて僕は、ある映画監督が死んだとき、そのような時間のなかへ飲みこまれた。その人の知らせを聞いた時のことを思い出す。なんだかとても、あたりが静かだった。あとは、とても天気がよかった。室内だったからいくらか暗かったが、それでも太陽のひかりがカーテンからさしていた。それぐらいしか覚えていない。数分してからか、一、二時間してからか、ようやく何かを考えはじめたとき、僕がまず思いついたのは、「これは誤報だ」ということだった。嘘だと思ったし、そう思うことによって思考に平衡性が戻ると、「こんな誤報をして、責任者はどう処理する気なんだろう」なんてことを、いつもの、他人事をみるような感覚で思った。けれどもそのような感覚は、その映画監督のとても親しい関係者が事実であることを認めたとき、失われた。(・・・、「最低の時間」について語ることは、いや、それを思い出すことさえ、容易ではない。いま、僕の思考は抵抗している。あの時のことを、考えたくないのだ。「最低の時間」は、言葉にならない。「最低の時間」などという名前を付けること自体、「最低の時間」を知らない者だけができることだ。・・・、有り体の言葉で言えば、)僕は泣いた。しばらくすると、いつもはノックなんてしないのに、いまはわざわざそれをしたうえで、母が僕の部屋のドアを開けた。僕の泣く声を聞いて、僕を哀れに感じたのか、母も泣き顔になっていた。またしばらくして、僕は外に出た。そしてそのまま、海まで歩いた。なぜかはわからかった。海に着いた頃には、僕の足は疲労で震えていた。それにあたりはもう真っ暗だった。そのような低い時間のなかで、僕は様々なことを考えたが、そのほとんどはまともな思考のかたちをなしていなかったように思う。ただただ、「どうして?」ということを考えた。それは、その人の具体的な死因についてではなかった。もっと、はるかに根本的な「なぜ?」だった。

 このような時間よりも低い時間を、僕は知っている。けれども、それは止めておこう。あまりに個人的すぎるし、なにより、僕はそれについて、まだまともに考えられない。

 最低の時間のなかでは、僕らは互いの顔を見られないのではないか。そんな気がする。みな、伏し目がちになるか、顔を覆っているような、そしてじっとしているような、そんな、悲しいのか、それともなにも感じられないのか、ただなにもわからないような、とにかくすべてが止まってしまっているような状景を、僕は抱く(じっさいの最低の時間を知らないからだろう)。もちろん、不幸自慢なんてできるわけがない。そのような時間を経れば、それ以前と同じような時間を生きることは、まずできないのだから。そのような時間のなかで、人々は泣いているだろう。人間が持続して泣いていられるほどには、「最低の時間」は持続するだろう。 たとえ泣き止んだとしても、気を抜けばまた、「最低の時間」はその真っ黒な大口を開けるだろう。

 

 

 

 

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2013年3月16日

 時には、とりわけ、何かによって追いつめられていて、それでも何とかしてそれに反抗したいような時には、僕は、君に、あるいは彼らに、問いかけたくなる。「君の、君たちの戦いは、いったいどのようなものなのか。その戦場はいったいどこにあって、それはいつから続いていて、いつまで続くのか。終わりはあるんですか。それとも、死ぬまで続くんですか。それとも、死んでも終わらないんですか。それとも、戦いなんて無いのか。君の、君たちの生きているところには、何も無いんですか。それとも、何かがあるんですか。それは、いったい何ですか。」

 君は、彼らは、僕を冷笑する。ひとり、何かと戦っている、愚かなやつ。お前の言葉、観念、思考、つまり、お前の想像的なもの。お前の戦い。お前の想像的なもの。良識に一体化できず、かといって、想像的なものの、分裂的な傾向性にも一体化できない、哀れなやつ。

 僕は、彼らの言葉によって追いつめられる。それによって傷つけられながら、僕は、悔し紛れに、彼らが傷つくことを誘いだそうとして、問い返す。「君の、君たちの戦いは・・・。」でも、それで誘えるのは、彼らの冷笑だけだ。

 なぜ、われわれは戦いつづけようとするのか。レールがここで途切れる。僕が乗ったトロッコは、そこから真っ暗闇へと転落する。

 われわれは、戦いつづけるだろう。君や、彼らがそうでなかったとしても、われわれは、そうしつづけるだろうし、そうするしかないだろう。でも、それはなぜなのか。それは、われわれの想像的なもののせいなのだろうか、それともわれわれは、身体的に、つまり現実的なものの次元からすでに、戦いを求めてやまないような存在なのだろうか。想像的なものとしても、現実的なものとしても、あからさまに弱い存在であるこの僕もまた、われわれのほうに分類されるのだろうか。そして、われわれのひとりひとりが戦いを続けるように、僕もまた、僕の戦いを続けるのだろうか。彼らの冷笑に飲まれながら、戦いつづけるのだろうか。

 

 

 

 

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2013年3月19日

 こうして、本論に入ろうとしないのは、なぜなのだろうか。僕は、「思考の公準」というタイトルのもとに、ある程度体系的な哲学思想を書こうとしているはずなのだが、未だその本論へと入る気になれない。哲学や思想と呼ばれるようなものを、拒んでいるのだ。特に、理論家たちが振り回す、「つねに・・・」だとか、「・・・である」というような言い回しには、辟易している。もういいだろう? 思考にそんなものを扱うちからは無いだろう? そんなペテンを真に受けられるほど、僕は思考に魅せられてはいないだろう? 手品師たちの手口に、うんざりしている。それなのに、どうして今度は僕自らが、手品師になろうというのか。

 論理的に推論されている思考ではなく、もっとありふれた次元における思考から、思考というものをとらえねばならない。論理的に推論されている思考、客観的な思考・・・、このようなものは、「論理」とか、「客観」だとかいう仮面を被った、ただの思考だ。そして本当は、この「ただの思考」というものを、相手取らなければならないのだ。

 だがそうなると、思考というものは、とりとめのない、まとまりのない、その時々で変わる自分勝手な、無責任な、手に負えない、矛盾だらけな、革命的にもなれば保守的にもなるような、風向きしだいで様々な方向に簡単になびいてしまうような、目の前の大きなことに流されてしまう、周囲の雰囲気に飲まれてしまう、考えているのではなくて本性的には考えさせられている・・・、そのようなものであることに気づく。

 ・・・だから、もしも思考のこのような分裂的で偏執的なあり方に抗おうとするならば、もしも思考をうまく導いて自らが目指すような何かを達成しようとするならば、もしも思考を厳しい戦場のなかに実践配備しようとするのであれば、やはり公準が必要なのだ。もしもこのようなことを願うとすれば、なのだが・・・。

 僕は、思考には公準が必要であるということを知った。「公準」とは言っているが、それはこの言葉かから個人的に感じられる非個人的な雰囲気が好きなだけであって、「万人が従うべきもの」などという意味は、全く込めていない。そのようなものを前にすると、思わず鼻で笑ってしまう。

 いまの僕の状況は、複雑でめんどくさい。つまり、思考には公準が必要であるということを知ったのだが、その公準に対して、さらに反抗しているというわけなのだから。だが、公準もまた思考から形成されるものだとすれば、どうして公準が信頼に足るものとなれるだろうか。謎である。これは、つねに謎である。

 思考は、愉快で健康的で悦ばしいものでもあれば、不愉快で病的でどうしようもなく許しがたいものでもある。思考は、あの美しい「ダダ宣言集」にもなった。しかしまた思考は、「平和のために、武力侵攻をせざるをえない」と言ったこともある。それらは、すべて思考だ。思考を峻別する普遍的な基準なんて無い。

 なら僕は、この思考をどうする? 公準を据えて、それを固く遵守するのか。それとも、思考を、それがあるがままに委ねるのか。思考の対自か。それとも、思考の即自か。

 それとも、問うても無駄なのかもしれない。考えられたものは、すべて思考だ。例外なんてない。あえて言えば、例外を設けるということそのものもまた思考だ。だから、公準を形成して、それに沿おうとすることも、また思考なのだ。

 思考の公準を、かならずや近いうちにはじめよう。

 

 

 

 

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2013年3月24日

 風邪をひいたのか、二日寝込む。連日、無理をしていたのかもしれない。この間、書くということは、あまり気にならなかった。というよりももはや、書くということと僕とは、すでに解離してしまったのかもしれない。書くということと生が関係していることは明らかだが、それでも、書くということは生の一様態でしかない。生のすべてではないのだ。

 それでは、考えるということは? 考えるということも、生の一様態であって、生のすべてではないのだろう。しかし、考えずに生きるということは、ありえることなのだろうか。僕には想像もできない。僕は二日間、風邪をひいた思考のなかで生きていた。気怠さとちょっとした安堵感が混ざり合った、不思議な思考だった。

 

 

 

 

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2013年3月30日

 ここでの記述が日記のようになってしまうことは避けたい。けれども、考えるということを「イマとココ」から切り離すことは絶対にできない。ここでの記述に日付けをつけているのも、実は、このことを忘れないためだ。どの記述も、そしてどの思考も、ある程度は日記なのかもしれない。

 曇り空で薄暗い日が続く。散歩をしながら考えることは、やはり「現実的なもの」とは何かということだ。「現実的なもの」という概念こそ、いやあえて言うならば、「現実的なもの」という現実こそ、君とのことから僕が学んだことだった。君だけではなく、人は、まるで指差すかのように、「現実」という言葉でなにかを指示する。それも、もっとも重要なものごとを主張するときは特に。だが、それが重要で、かつ問題的なものであるときほど、「現実」は一致しない。人々は、それぞれに異なったものを指差して「現実」と言う。結局は、僕と君もそんな感じだったと思う。

「現実的なもの」とは何かという問いを考えるはじめると、いまの僕はたいていの場合、戦争に行きつく。戦争は、誰もが「現実的なもの」として認めざるをえないものだ。でも、僕はやはり問いたい。戦争こそ、「想像的なもの」の最たるものじゃないか、「想像的なもの」が現実的なものの次元に受肉した、想像的なものの反映じゃないか、あれこそ、最も愚かな類いの妄想の結果じゃないか。現に、戦争は力によっては終わらない。戦争は、政治あるいは条約といった、想像的なものの次元においてはじめて終わる。問題になっているのはつねに、想像的なものの次元なのだ。

 多摩川の河川敷のベンチに腰掛けると、つよい風にぶわっと頭を叩かれた。・・・、これは馬鹿げた考えなのだろうか。

 いずれにせよ、想像的なものの次元もまたまぎれもない存在であるのだから、想像的なものもまたひとつの現実なのだと言えてしまう。いま行われている、そしてこれから行われるだろう戦争は、ある方法によって簡単に終わらせることができるかもしれない。つまり、いますぐあらゆるすべてのことを水に流すならば。過去のこと、いま問題になっていることすべてを白紙にして、近代的な、それが無理ならせめて近世的な水準の生活を、永遠に、すべての人が互いに保証しあうならば。・・・、こんなことこそ夢想だ。無理だ。想像的な次元のすべての物事を、いっせーのでリセットしてしまうことなんて絶対にできない。それほどまでに、想像的なものは存在しているのだ。

〈純然たる現実的なものもなければ、純然たる想像的なものもない。現実的なものと想像的なものは、存在論的に別ものであるが、けれども互いに互いが反映しあい、他方の存在のうちに自らを編み込ませている。〉

 戦争ももちろん、純然たる現実的なものなんかじゃない。お化け屋敷を作っておいて、「ほらお化けがいただろう」と言うようなものだ。くだらないイリュージョンなのだ。でも、それは純然たる想像的なものでもない。なぜなら、そこでは人が死ぬから。人の死は、強いては喪失こそは、まぎれもなく「現実的なもの」のしるしだ。そして、現実的なものの暴走もまた起こるだろう。現実的なものが、想像的なものの次元をはるかに凌駕してしまう事態が起こるだろう。

 鳥たち。彼らもまた、自らの想像的なものにそって、曇り空の下を飛んでいた。いつもの猟場のちかくのベンチに腰掛けている僕を、うっとうしそうに警戒しながら。僕はその場をすごすごとあとにした。

 こうやって小出し小出しに思考を書き連ねるのは、はっきり言ってよくない。さっさと本論に入るべきだ。

 

 

 

 

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2013年4月5日

 読むということ、書くということ、そして考えるということ・・・、いま一度これらについて考えたい。いま僕はこれらに対して、かつてなかったほどの違和感を覚えている。僕がいま一度何かを書いたり、考えることができるためには、このような違和感を乗り越えなければならないのだろう。そしてそのような乗り越えは、いまの僕にはただぼんやりと想像できるだけで、この違和感が常態化してしまう事態のほうがずっと想像しやすい。

 このような違和感は、僕の宿命なのかもしれない。なぜならば、僕が哲学というものと向き合いはじめたとき、そこから汲みとったもっとも深刻な体験は、まさに「わかるということはありえない」ということだったのだから。ある講師は、ヘーゲル弁証法の真の意味あるいはその現実性をはじめて理解し体験したとき、何かが崩れていく音を本当に聴き取ったと僕に話してくれた。そのとき僕は彼に、自分にとってそのような音が聞こえたときがあったなら、それは間違いなく「わかるということはありえない」ということをはじめて理解し体験したときだっただろうと言った。本当は何も聞こえなかった。けれどもそのときから、何かが崩れていくことが止まない。

 著名な批評家や研究者の文章を読み進めてみると、そこには無数の思想家の名前や引用文が氾濫している。読み手は文章を通過してゆくなかで、書き手の知識の豊富さに感嘆するのだろうか。そして、様々な知識にたっぷりと触れた気になり、いくらかの満足とそして自らの無知に対するいくらかの不安を覚えるのだろうか。僕もそのような読み手のひとりだった。けれども、いまでは満足も不安も感じない。そのような文章に接してまずまっさきに感じることはこうだ。すなわち、どうしてこれほどまでの名前や引用文が必要なのだろうか。それどころか、引用はそのたびごとに多少なりとも引用者自身の我有化を引き起こすことを思うならば、僕はこのような事態がいささか信じられなくなる。引用するたびごとに、引用者は間違うのだ。なぜならば、引用された時点で、その内容はもはやもとのままではないのだから。このような文章のなかで行われているのは、バイキングのような我有化と、その度ごとの間違い、そして裏切りではないのか。

 しかし、「もとのまま」の文章とは何だろう? そもそも「わかるということはありえない」ということを根本的な現実として生きなければならない僕にとっては、「もとのまま」などというものは想定された幻想でしかないということになるのではないか? これはニヒリズムだ。著者は文章に意味を込める。いや、意味だけじゃない。彼彼女の体験を、身体的なものを、歴史を、絶望と希望を・・・、要するに彼彼女の生そのものを込める。僕はそれに「もとのまま」に触れたい。けれども、それは、原理的に、不可能なのだ。ここには読むということの不可能性がある。

 しかし、「わかるということはありえない」というこのやっかいでニヒリスティックな事態から僕は逃れられないだろうし、逃れる気もさらさらないのだ。僕はこの根本的な事態を手放すこと(これは覆い隠すことでしかない)に危険すら感じる。だから、読むということをすべて読み手の解釈に還元し、むしろそれを逆手にとって、自らの解釈を正当化するというようなことも僕にはできない。僕が読みたいのは、僕自身ではなくて、僕ではない誰かなのだ。読むということのなかで、僕は誰かに出会えるだろうか。自分自身に再会するのではなしに。

 人文科学、あるいはもっとくだけたレベルでのエッセイでもいい。このようなことを書いたり考えたり、あるいは読んだりするなかで、僕は誰かに出会えるだろうか。ここで僕は分裂する。一方の僕はこう言う。「それは、原理的に不可能だ。」しかし、もう一方の僕はこう言う。「実際に、出会ったじゃないか。」

 考えるということを、それも建設的な方向へと思考を働かせるということを、僕はふたたび取り戻せるだろうか。いや、いまの自分が感じざるを得ないこの違和感を無視していたとき、僕はきちんと考えてなどいなかったのだ。

 

 

 

 

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2013年4月21日

 これまでここで書いてきたけれども、今日でいったん中断、というよりもむしろ小さなピリオドを打つことにしたい。残念ながら、「思考の公準」の本論を直接的に展開するには至らなかった。むしろここで書かれたのは、「思考の公準」に先立つ根本的な状態としての、「思考の不可能性」についてだった。以上のテキストは、この「思考の不可能性」というタイトルのもとででもまとめられるべきものだろう。

 時期が変わると、驚くほど忙しくなった。けれども、それが書くことを終える最大の理由ではない。最大の理由。それは、この僕自身に「思考の不可能性」を実践的に超えてゆくための精神状態が徐々に芽生えてきているということにほかならない。つまり僕は、「思考の不可能性」を書くには(好運にも)不適切な精神状態へと変わってしまったのだ。翼が穴だらけの飛行機でも、崖から蹴り出されてみれば案外遠くまで飛べるかもしれない。そのまま地面に落下して木っ端みじんになることすらも、悦ばしく感じられるかもしれない。要するに、人は「思考の不可能性」にとどまりはしない。そして僕もまた、「思考の不可能性」を手放すことはないにしても・・・、やはり思考せざるをえないのだ。

 そして、「思考の公準」。これはやはり完全に書き終えられたうえで、提出されるべきだろう。そしてそれは、この「思考の不可能性」を導入的なテキストとし、更に、すでに書き終えられている「主体について」というテキストとともに、三作で一冊の冊子にまとめられてなされるべきだろう。

 

(終)

 

 

 

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